死ぬまで生きる

先日、岐阜の真生会開祖 田中偉仁師が本年、生誕100年を迎え、大変お世話になった感謝を込めて、お盆先祖法要式典に説法のお役を頂いて参加した。生前、心の師として宗教者としての生き方を手取り足取り教えて頂いた恩人の一人だった。

ご本部の開祖展の会場に懐かしい幾つかの語録が、掲示されていた。その中の一つに「死ぬまで生きる」というお言葉と、「一寸先は光」という開祖様らしい、きらりと光るお言葉があった。私がものごとを明るく受け止めるようにしているのは、田中開祖様の影響もあると実感した。特に「死ぬまで生きる」という言葉は卓見で、最近詩人の坂村真民先生の次のようなメッセージに共感していたので、相通ずる人生に対する迫力を感じた。

「人間は誰しも年をとって、肉体は衰える。けれども霊魂は、日増しに成長していくものだ。だから、地上で霊魂を成長するだけ成長させてから、次の世界に行かなくてはならない。」

肉体は衰えるが、死ぬまで霊魂は成長できるというのは、法華経が教える歴劫修行の考え方そのものだと思う。私は、庭野日鑛会長先生がよく教えて下さる、「精進精進また精進、死ぬまで精進、生まれ変わってまた精進」という言葉が大好きで、まさに永遠の未完成の自分が数寄である。

それでは、自分の霊魂の成長度をセルフチェックするにはどうしたらいいのだろうか?やはり自分なりの物差しを持つことが大事ではなかろうか。そこで、縁起の教えをもとに、①自分が縁からのベクトルをどのように受けとめるか、反対に②自分からのベクトルを縁にどのように働きかけるか、そして、③自分のいのちそのものへの認識の深まりをどう測るかと考えた。

  • 自分が縁からのベクトルをどのように受けとめるかは、目の前の出会いにどれだけ感謝を深く持てるかということか。順縁は意識すれば感謝は深まる。厄介なのは逆縁だ。自分を磨いてくれるものとは教えて頂くが、やはり辛いものがある。これにはいかに早く立ち直れるかを基準にした方がいいのではなかろうか。田中開祖様の「転んだら起きる。起きたら走る」の言葉を思いだす。
  • 自分からのベクトルを縁にどのように働きかけるかは、どれだけ周りの人に喜んでもらおうとしているか、それが身に着いているかどうかではないか。現在、徳島シニア駆け込み寺にて、「目の前のたった一人のあなたを救う」のスピリッツで取り組んでいるが、この気持ちの強さかなと思う。
  • 自分のいのちそのものへの認識の深まりは、生死一如だから、死への執れからどれだけ離れられているかと捉えている。私は小学校六年生のときから、死んだらどうなるのかが一つのテーマであった。つまり生への執着の強い自分を感じている。かつて光祥様から「そんなに長生きして何をしたいのですか?」と問われた時に、キチンと答えられなかった。庭野会長先生に教えて頂いた、曽野綾子さんの就寝前の「三秒の感謝」、つまり、「今日まで有難うございました」と、毎晩死の予行演習を実践している。そして、今なら「一人でも多くの人に幸せになってもらいたい」と願いながら、「死ぬまで生きる」と答えるだろう。