AIの時代とヌミノーゼ

先輩の内田昌孝元理事長から、「開祖さまのヌミノーゼ」というお話をよく伺った。

キリスト教信仰の世界の中で、カントに代表される真・善・美を求める理性宗教に対し、非合理的かつ直接的な経験こそ「聖なるもの」であると主張し、そのような神の意志・神の存在がヌミノーゼだと、ルドルフ・オットーが主張した。

別の表現をすると、ヌミノーゼとは神への信仰心・超自然現象・聖なるもの・宗教上神聖なもの及び先験的なものにふれることで、沸き起こる感情のことである。

ヌミノーゼは

  • 宗教体験により原始的な感情が沸き立つものである。
  • 概念の把握が不可能で説明し難いものである。
  • 畏怖と魅惑という相反する感情を伴い、身体の内面から特殊な感情が沸き起こるものである。
  • 絶対他者の存在を感じさせ、人間が本来備えているプリミティブな感覚により、直感するものである。

内田さんは、開祖さまはいつも身近に神仏の存在をリアルに感じられておられたように思うと、述べられていた。

AIの進化でチャットGPTがどんな問題でも応えてくれる、それも自分に心地よい回答をしてくれるようになってきているという。私はまだ使用していない。方便として利用するのは有効だと思うが、バーチャルとリアリティーの境目がどんどん曖昧になってきているように思う。

そんな時代だからこそ、五感で感じることや直接体験の重要性が増してくるように思う。さらに言えば人間の霊性の開発が大切ではないかと思う。

そこで、本会にヌミノーゼを感じる修行はどんなものがあるのか、思いを馳せてみた。最初に浮かぶのは霊感修行(杉並教会はいまでも実践している)、次に七面山修行、お会式行進そして法華三部経読誦修行だろうか。先祖供養、健幸行、戒名修行はどうであろうか。

私は法華三部経読誦修行がいつでも、どこでも、誰にでも、できるヌミノーゼの行ではないかと思う。これこそAIの時代に感性をとり戻す大事な行ではないだろうか。もちろん霊感修行の神秘の世界は直接的で分かりやすいものではあるが。