先日、鳥取教会布教大会があり、講師としてお役を頂いて、故郷鳥取に帰ってきました。開祖さま生誕120年の今年、「開祖さまから一番学んだことは何だろうか」と、開祖さまから学んだことを振り返って、お話しさせて頂きました。
私が開祖さまから頂いたお経はどこだろうか?とつらつら振り返りました。
そこで、やはり譬喩品第三の「今この三界は皆是れ我が有なり、その中の衆生は悉く是れ吾が子なり」ではないかと受けとめました。なぜなら、つごう三回も頂いたからです。
最初は、36歳の時に、豊橋教会長のお役を頂いて、赴任するときの方位が悪くて不安なんですと申し上げたところ、この譬喩品第三を引用され、仏さまを信じてお役に努めなさいと。
次は、3年後の開祖さまを囲む教会長法座のとき、豊橋は地域1割の会員がいる教会なのですが、そのような布教の行き届いている状況の中で、今後の私の在り方を教えてくださいとお尋ねした時、やはり、譬喩品第三のこの箇所を引用してくださり、仏さまに見守られているという気持ちで精進しなさいと。
そして、3回目は、3年前に徳島教会長就任の直前に、平成法話集第三巻のまえがきを書かせて頂くために、事前に原稿を拝読させて頂いたときです。最初からそして何回も譬喩品第三のこの一節を開祖さまは取り上げられ、諸仏に護られていること、そしてその諸仏は周りにいる人だよ、特に家族に善哉善哉といわれるような修行をしなさいと教えて頂きました。
一貫して、仏さまがいつも見守ってくれているという、仏さまへの帰依を教えてくださいました。
法華経には、方便品第二に諸仏に親近すること、普賢菩薩勧発品第二八に、諸仏に護念されていることを実感することが大事だと説かれています。
恩師の月岡淑江元鳥取教会長から、この諸仏を諸人に置き換えることと、若い時に教えて頂いた。つまり、多くの人に出会い、その人から学ぶこと、そして多くの人に支えられているという感謝を忘れないことと。
さらに、諸宗教対話のお役を長くさせて頂きましたが、相手の方が開祖さまを褒めても、「開祖さまは素晴らしいが、私は未熟だ」と必ず言いなさい。そして学ぶ姿勢を忘れるなと。おかげさまで多くの宗教者から大事にしていただきました。
最近は特に、本当に、多くの人に見守られ、特に身近な家族に支えられ、多くの人に助けて頂いていることを実感して、感謝することが信仰の極致ではないかと感ずることが多いです。
我々には案外に遠くから見守って下さる方々がおられるものですね。
実は、私のことを遠くから祈ってくださっている方がいたことを徳島に来て学びました。椙原元支部長さんが、大阪教会青年部時代に、國富家の導きの親である、大阪教会の筆頭支部長の國富千恵子支部長さんの下で修行されたそうです。その國富支部長さんの三男さんと、従業員合わせて3人がご主人の経営する鉄工場の事故で亡くなって、ショックでしばらく休んでいたそうです。お見舞いに行った時の落ち込みようはなかったと伺いました。
しかし、その次にお会いしたとき、元気になられた。その時に「鳥取の里の子が仏さまの縁につながった」と嬉しそうに話され、「その子がきっと三人の若者の命を生きてくれるだろう」と見違えるほど元気になられたそうです。ちょうど私が学林に入林したころのお話でありました。そのことを徳島に来て初めて教えてもらいました。ビックリしました。豊橋教会長に就任したときの就任式に唯一祝電を下さったのが國富支部長さんでした。そんな深い祈りがあったとはつゆ知りませんでしたが、遠くから私のことを見守ってくださっていた人がいることを最近知ったのです。
きっと、我々一人ひとりは、実際に多くの方々に支えられ、見守られているのではないでしょうか。
そのことを開祖さまから三度も教えて頂きました。


