令和7年は大聖堂で会長先生の米寿をお祝いする記念団参が8回にわたって行われ、11月20日は最後の団参となり徳島教会20名が参加させていただきました。全参加30教会がそれぞれ知恵を絞り、地域の特性を活かした1分間のパーフォーマンスを大聖堂座床、会長先生のすぐ前で披露させていただくのがメインの内容です。途中で米米体操の少休止を挟み、前半と後半それぞれ15教会が座床の左右を使って順番に発表するというスタイルでした。徳島教会は後半の29番目に出演し、阿波踊りを披露させていただきました。
松山コーチの指導による踊りの演出、的確なアドバイスに参加者が一致協力して臨み、フロアーから拍手喝采を浴びる素晴らしいパーフォーマンスを披露することができました。団参は楽しく、日程中には皆さんが誰となく手を差し伸べて協力しあう温かい触れ合いを経験させていただきました。
一方、個人的には厳しいスケジュールでの参加となりました。ときに超多忙となる外来診療や、医師会の用事等に伴う未決書類が引き出しの中から溢れ出しそうになる中で診療を2日休むというのは、正直言ってきついものでした。未決案件をなんとか間に合わそうと早朝5時前に起きて用事をしたこともあります。ストレスと不摂生からか、数日前に右の奥歯が猛烈にしみて痛くなり、歯科の先生からは知覚過敏と言われました。
11月19日、団参会館に着くと今度は同じ部位の歯で食べ物を噛むと痛みが出てきました。夕食のカレーのおかずに出された千切りキャベツを噛むことができません。歯に挟まったご飯粒でさえ噛もうとすると痛くて顔をしかめる始末です。
そのときふっと、亡き養父が生野菜を食べようとしなかったことを思い出しました。外科医だった養父は若い頃に交通事故で頚椎骨折、生死をさまよったあげくに命は助かりましたが、後遺症により四肢麻痺で立つこともできず、右手で鉛筆を持てる以外は、すべて養母や家内の介助が必要な重度の障害者となりました。それでも車椅子に座りながら懸命に外来診療を続けて須見家をつないでくれました。
長年の無理がたたったせいか、養父の歯はボロボロに痛んでいました。その父は生野菜を食べようとはしませんでした。私はそれを見て、「なぜ野菜を食べないんだろうか、野菜が嫌いなんだろうか?」と疑問に思っていました。
歯が痛くて野菜もご飯も噛めない中で、「そういえば、父もきっと歯が痛かったんだろうなあ」と感じました。父は極めて不自由な毎日を過ごしながらも、痛みや苦しみを口にすることは一切ありませんでした。父の苦しみをもう少しわかってあげられたらよかった・・・。そんな思いにかられました。
団参から帰った20日の夜は医師会のオンライン会議があるため、阿波踊り空港から教会に寄らず直接自宅に戻り、午後7時開催の会議になんとか間に合うことができました。不思議なことにその翌日から歯の痛みが軽くなり、3日後には痛みがすっかり無くなりました。「やっぱり自分は生かされている。お役に励む中で尊い経験を積ませてもらい、いざという時にはギリギリのところで守られている。仏さまのお計らいとしか言いようがない」。そんな心境になりました。

合掌 須見昌央
