会長先生が平成11年新年の職員朝礼で、曽野綾子さんの「三秒の感謝」というお話を分けてくださった。
曾野さんは義務教育の中に死の教育を取り入れることを提唱されていた。死はめいめいが模索するほうがよく、子供や若いうちから死を考えるといいと。
さらに死を怖がらない方法として、毎夜、今日死んでも自分は幸せだったと、幸福の収支決算すること。そのために、毎夜就寝する前に「今日までありがとうございました」と、3秒間の感謝の言葉を述べることを推奨している。なぜなら、死を思うと生が充実するからだと。
当時青年本部長になりたての私は、すごく考えさせられた。なぜなら、就任して最初に群馬県5教会各部長教育で高崎教会に出かけた。そこで、青年たちに、会長先生の説かれる「無常」をもとにした法門研修が求められていると、強く感じていたからである。無常と死は直結する概念である。
私は、会長先生に求道しなければいけない項目を整理していた。日々の創造のための「無常と自灯明」、無常の教えそのものである「無常と三法印」、変化の仕方としての「無常と縁起観、十如是、十二因縁」、変化に乗るか乗らないかの法則としての「無常と四諦」、可能性を開くための「無常と六波羅蜜」、自己を収めるための「無常と八正道」、変化をつかむための行として「無常と基本信行」、本質的な救われは無常をつかむこととする「無常と会員綱領」、耕さないと固くなる=変化に合わなくなる「無常と心田を耕す」、ハイ・おはよう・靴やイスをそろえる「無常と少年少女の誓い」、謙虚さを学ぶ「無常と内省」、無常そのものの「無常と無量義経」、一大事因縁は無常の中の今の命を強調する「無常と迹門」、無限の可能性と固定観念の打破の「無常と開三顕一」、無常とは温かい六或示現の「無常と本門」、人生を前向きにとらえるための「無常と懺悔経」などなど。
振り返ってみれば、自分なりにずっと会長先生のご指導やすべてのことを、無常の切り口で考え続けていた。そしてある時、ふと、無常とは結局「すべてのことは変化する」ということだけだ。そのことをいかに広く深く高く大きくそして長く無限に捉えるか、逆にいかに狭く浅く、低く小さくそして短く刹那に捉えるかだと思った。迷ったら「変化」へ戻ればいいと、気持ちがすごく軽くなったことを思い出す。
その究極が自分自身の死を見つめることではないだろうか。そこで、曽野綾子さんの「三秒の感謝」の実践がやはり肝になってくる。忘れていたことを再び実践しようと思う。就寝する前に「今日までありがとうございました」と感謝の言葉を述べることにしよう。


