私は幼少期の頃に祖父の影響もあってテレビで【プロレス観戦】することが好きだった。
その時代には、アントニオ猪木氏の新日本プロレスとジャイアント馬場氏の全日本プロレスの2団体が主流だったが、私の地域で放送されたのは新日本プロレスが多く、自然と業界用語で言う「新日派」になった。

当時のプロレスは、その時は当たり前であったが派手なガウンで入場し、原点とも言える黒いパンツに黒のシューズが主流で、タイガーマスクなどの覆面レスラーはお洒落に映っていた。
猪木氏は比較的技のバリエーションが多かったが、どちらかと言えばバッグドロップやブレンバスターなどシンプルな技が多かった記憶がある。皆さんの中にはプロレスと言うと、八百長やショー的・ヤラセ的な観方をしている人も多いのではないかと察する。
私は成人になっても、趣味の一環としてプロレスをずっとテレビで見ていたので、その疑惑がなかったわけではない。しかしここ数年、高松市で開催される新日本プロレスの巡業には、毎年多くて2回ほど、合わせて7~8回は現地で観戦している。
その目線からではあるが、昨今のプロレスは女子ファンも非常に多く、紙はロングに茶髪でコスチュームも非常に派手である。ビジュアルも2000年代から変わり始めて、一言で言うお洒落要素が強い。
私が思うには、プロレスは受けの美学ともいえる。相手の技を受けて自らの技を切り返す、わざと掛かっているのではなく、受け身の訓練をしているので、逆に技にかかる方が安全だとも言える。世間一般では攻撃する側・技をかける方に注意が向きがちだが、技を受ける方にも見どころがあるのは、現地観戦しているとわかる。ぶつかり合う時の音やほとばしる汗は感動すら覚える。
私自身大好きなプロレスラーは武藤敬司選手と内藤哲也選手だが、やはり力道山の愛弟子のアントニオ猪木氏には計り知れないほどの敬意を感じる。多くのものまねタレントが出ており、プロレス界問わず多くの伝説を残された事は、プロレスファン以外の方でも大なり小なり知っているのではないかと思う。猪木氏に憧れて数えきれないほどのレスラーが登場し、多くの格闘技イベントを作り今日に至る。
その推進力には、我が開祖さまと通じる所も感じる。私もそうであるが、つい格好よくみせようとして言葉選びをしてしまい、人に伝わらないことがある。見たままをシンプルに伝える事は重要なのではないかと感じる。時には目の前の事に対して損得なくまずは行動して考える。体験値を得られるのは一番である。過去には躊躇してしまった経験もたくさんあるが、猪木氏のように時には思い切って動くことも重要だと思う。
猪木氏の言葉を引用させて頂くと:
「元気ですか~?」 「元気があればなんでも出来る!」「馬鹿になれ、とことん馬鹿になり恥をかけ、自分が丸裸になるまで恥をかけ、そうすれば本来の自分が見える」
六波羅蜜の忍辱である。「迷わず行けよ、言えばわかるさ、その一歩が道となる」
次回、偉人伝パート2を予定している。
合掌 椙原