ほろ苦い思い出

先日のある支部の法座でのお話です。実のご両親と同居されていて、お母さんが認知症気味で、普段のトイレのことや家事全般のことでいろいろとお父さんと一緒に苦労しているというお話を伺いました。

その中で、ご自身の姪御さんの結婚式に是非参加してほしいということで、二泊三日家を空けなくてはならないことになり、お母さんに相談し、丁寧に説明したところ絶対嫌だという反応だったそうです。そこで地域包括の方に相談したところ、いきなりではなく、まずは試験的に一泊のショートステイを経験してもらうことから始めたらどうかと提案されました。

それでもお母さんには、苦労してご夫婦で新築して、長年住まわれた愛着のある自宅から、他所に泊まることにすごく抵抗感があったとのことでした。それでも受け入れてくれたそうです。そして実際にショートステイに泊まってみると、楽しくていい印象を持たれたとのこと。そこで安心して姪御さんの結婚式に行かれることになりました。でも、現実には結婚式から帰って、いの一番に施設に迎えに行かれたそうですが、お母さんはとても不機嫌だったというお話でした。二泊三日ということを十分に理解されていなかったようで、随分と怒られたそうです。

実はこのお話を伺いながら、大変だなあと共感しつつ、私の中にある思いが強烈に湧いてきました。それは私の母に対するチクリと胸の痛むほろ苦い思いでした。母は、8人姉妹の長女として、跡取り娘として父を養子に迎えました。結婚したときには、母の両親・祖母そして自分の下に7人の妹がいました。終戦後間もなくの自小作農の貧しい古い家に長年住んでいました。大きな家ではあったものの、決して立派な家ではありませんでした。私は高校卒業まで、その家で育ち、上京しました。

その後、兄夫婦と同居するようになった母たちは、念願かなって、少し離れたところにある我が家の畑を用途変更して、兄夫婦と一緒に家を新築しました。とても立派な家でした。母が冗談半分で、「お前の実家が恥ずかしくないように建てたんだ」と私にそっと言ってくれたのを覚えています。何とも言えない私に対する母の慈愛を感じたものでした。実際にいろんな人をよく家に案内していました。私も帰省の度に泊まらせて頂き、今も快適な思いをさせています。

さて、母が83歳頃から認知症が進み、兄夫婦は、孫の世話もしなければならなくなり、兄嫁さんの健康を考えて、悩んだ末に認知症のグループホームに入っていただくことになりました。もちろん私は賛成しました。兄夫婦には両親のお世話を最後までして下さり、感謝一杯です。私が帰省するたびに、兄夫婦は母を実家に呼んで楽しく食事会をしてくれました。ただ、悲しいのは、いよいよグループホームに戻らなければならない時です。母は自分の家が名残惜しそうでした。しかし私の前では一度も、帰りたくないとは言いませんでした。しかし、後で聞いてみると、兄には「なんで自分の家に帰ってはいけないの?」と度々聞くそうでした。その訴えを聞くときの兄の胸中はいかばかりかと、頭の下がる思いです。もちろん私は、兄の味方でした。何とか母が里心を起こさないように最大限の気を使っていました。

しかし、先日の法座での出来事の中で、母の自分の家に対する思いがどれほど深かったのか、思いも及ばなかった自分の親不孝を、ほろ苦い思いで懴悔させて頂きました。

鳴門の渦潮