何事にも動じない心

先日、四国六花の会学習会の講師として、仏教精神と経営について六波羅蜜の立場から話してくれと依頼があった。そこで会長先生の「生活に生かす仏さまの教え」(平成9年)の「生活の中の六つの実践」を改めて学んだ。そこに、「禅定」の精神について述べられていた。「禅定」とは「心を整えること」で、「常に安定した精神状態で生活するということです。どんなときにも心揺るがぬ、どっしりした精神を保つことです。」と。

二つのエピソードを思い出した。まず一つは、1983年10月のことである。開祖さまにイタリアのフィレンツの団体から、「平和の建設者賞」という名誉な賞が授与された。授賞式はフィレンツェの市庁舎として有名なベッキオ宮殿で行われるということで、会長先生が代理で出席されることになった。私は当時庭野平和財団のスタッフで、随員の一人としてお供した。数々の思い出深いエピソードがあるが、その中で強烈に覚えていることが次のことである。

フィレンツェでの授賞式も無事に終わり、バチカンでヨハネパウロ二世教皇様との謁見が翌日に控えていた。前夜、我々随員と当時ローマ滞在中の留学生などで、会長先生のお部屋で御前会議よろしく、ああでもない・こうでもないと作戦会議を開いた。すると我々の議論を聞いていた会長先生が、次のような趣旨のお言葉を述べられた。

「確かに教団としての本会の歴史は50年足らずで新しい。バチカンは2000年の歴史がある。しかし、我々は2500年の歴史のある仏教の刷新運動である。教えとしては対等である。学ぶべきところは謙虚に学びつつ、胸を張って会見に臨もう。」

私は会長先生の凄みというか、何事にも動じない心の深さに敬服した。今でもその時の感激は忘れない。本当に素晴らしいお師匠さんの下で修行できるんだなあと胸を熱くした。

もう一つの思いでは、2007年の11月のことである。デリー連絡所・コルカタ連絡所への布教・ネパールのカトマンズ道場の入仏落慶式・バンコク教会布教の17日間のご布教に、時務部長としてお供させて頂いた。私はその30年前の1978年、学林3年生の時にインド仏跡参拝の旅の途中、アグラのタージマハールの満月の夜、ライトアップされた美しい姿に感激した。そこで世界一美しい光景を会長先生に見て頂きたいとお連れした。

満月の夜は見学できるというので、心ウキウキして出かけた。するとなんと、夜はロケット弾のターゲットになるという、セキュリティ上の理由でライトアップはしないし、近づくこともできなかった。30年前に比べて世界が悪くなっているということを実感した。私は楽しみにされていた会長先生に大変申し訳なく思い、お詫びした。すると会長先生は、「こうして、世界遺産が守られていくんだね。」の一言だった。残念だのひと言もおっしゃらなかった。

まさに「どんなときにも心揺るがぬ、どっしりした精神を保つこと」(禅定の心)が身についている方だなとしみじみ思う。