今年の夏は暑かった。8月末、千葉県の大学生のOB会の方々と一緒に、昨年亡くなった鹿野元教会長さん・渡辺元教会長さんの追悼の祈りを込めて、菅沼のご生家参拝に出かけてきた。特に今年は「室井慎次 敗れざる者」・「室井慎次 生き続ける者」の映画二本を鑑賞していたので、映画の舞台となった大池にとても関心があった。
菅沼は開祖さまはもとより、会長先生も10年間過ごされたところでもあり、青年本部長時代に菅沼子供村の村長を6年間させていただいた、私にとっても心の故郷でもある。そこで会長先生から次のような指導を頂いたことを思いだした。
会長先生は父親と男の子、母親と女の子の間には同性の反発という微妙な感情が働くから、心するようにと若い頃に教えて頂いた。とくに父親は男の子に対して生涯叱るのは3回以内にしなさいとまで、細かく教えて頂いた。男の子は叱られた内容よりも、叱られた事実の方を覚えているものだからと。
私は先生に、「家内からよく息子を叱ってくれとお願いされることがあるのですが」と質問した。すると、「それでも三回まで」と念を押され、「その場から立ち去るのだよ」とヒントを頂いた。私の記憶では、この教えは守り通してきた自信がある。
丁度息子が高校三年生の時のこと。大学進学の学部選択のことで妻と息子と私で議論を重ねた。息子は妻と私の考えに反発して、安易な方向性で進路選択しようとしていた。私は悩んで、会長先生の随行の時に、「個人的なことですが、私の息子が私たち夫婦の言うことを聞かないんです。それでもやはり、息子の意思を尊重した方がいいのでしょうか」と質問した。すると先生は「もちろんそうですよ。息子さんの意思に任せなさい」とはっきりと言われた。そこで私は縁起の教えを踏まえて、「親の責任として、自分たちの意見は言ってもいいですよね。最後は息子が決めるという線を崩さなければ」と確認させて頂いた。すると「それなら結構です」とのお答えであった。
早速家に帰り、息子に先生とのやり取りを報告して、我々の意見を述べた。すると息子は一言「会長先生は話の分かる人だなあ!」でした。結局息子は親の反対を押し切って、自分の選んだ道に進む決断をした。
その一週間後、田舎の父が出張で上京してきて我が家に泊まった。そこで、息子の進路のこと、会長先生とのやり取りのことなどをあれこれ報告した。じっと聞いていた父が、いきなり、「お前もそうだったじゃないか!高校生の時に私が医者を目指せと勧めたら、お前は血を見るのが嫌だと言って断ったじゃないか」と。私はすっかり忘れていた。そういえばそういうこともあったかなぐらいの記憶であった。同性の反発をしていたのは自分だったのだと愕然とした。自分のことはすっかり忘れていたのだった。
菅沼の夏景色を見ながら、勝手に会長先生の開祖さまへの思い・胸中を察して、「同性の反発」という言葉をかみしめた今年の夏であった。





