四万十川の清流と自然の美しさ

ある方から相談があり、「正」という字の語源を白川静氏の『常用字解』で調べてみた。すると、以下のように要約される。

「正」は会意文字で、一と止を組み合わせた形。一はもと口(い)に作り、城郭で囲まれた邑。止(足跡の形)の古い字形は之(ゆく)と同じで、行くの意味がある。

そこから、「正」は城邑に向かって人が進む形で、攻める、攻めて征服するの意味となる。さらに、「正」は「征」のもとの字であり、征服して、征服地の人から税をとることを「征」といい、その支配の方法を「政」というと、段々生臭くなってきた。

征服した人々に重圧を加えて税の負担を強制することを「政」といい、そのような行為を正当=道理にかなっていること、正しいこととし、正義=正しいすじ道、正しい道理としたのである。それで、「ただしい、ただす」の意味となり、純正(まじりけのないこと)のようにも用いる。

要するに、征服した人々に重圧を加えて支配することが「正しいこと」の語源。何か上から目線の、現代政治に相通じるように感じるのは私だけだろうか。「正しいこと」の裏には強制力が働く。人によって「正しいこと」の解釈が違うので、それが争いの原因になるのではないか。征服された側から見た「正しいこと」は全然違うはずだ。

そこで、興味があり英語では何というのか調べてみた。すると、「正しい」には五種類の単語があることが分かった。

①right ライト~道徳的規範など、何らかの基準に照らし合わせた正しさ。多数決で決められた 
正しさは時と場合によって変わるもの。

②correct コレクト~客観的に判断することができる正しさ。テストにおける正解が例。しかし、
常に真実である保証はない。鎌倉幕府創設の年号は1192年から1185年に変わった。

③accurateアキュレイト~的の中心付近に当たった状態。数値的な正しさや、精密で狂いがない状態を表す。

④exactイグザクト~二つのものを重ね合わせて寸分の狂い無く一致するような細部まで整った正しさ。

⑤trueトゥルー~真実としての正しさ、つまり比較なしに神に誓って良いレベルの純粋な正しさ。

こうしてみると、英語でも漢字でも、ある人にとっては正しいことでも他の人にとっては間違っていることもあり、正しさというのは一枚岩ではない。客観的な正しさも大切だが、自分にとっての正しさを見失わないようにしたい。

ある方から教えて頂いたことがある。自分の考えが「正しい」と思えば思うほど、人の心が見えなくなるもの。涌いてくる感情は心の奥に秘めたものが動き出そうとしているシグナルであるから、立ち止まると見えてくると。

私はこの心の奥の隣か、もしくはその奥に仏性=みんなとつながりたいという感覚、があると思っている。そこまで行きあたると気持ちが安らぐというか、温かい気持ちになってくる。

確かに自分が批判されたと思うと、甘受するどころか、本能的に払いのけたくなるもの。そんな正直な私たちの気持ち、弱さを自ら認め、自分のリアリティーを大事にしていくことが、「正しさ」の呪縛から解き放たれて、人の気持ちに寄りそえる自分になっていくのではないだろうか。

四万十川の清流と自然の美しさに魂を揺さぶられ、深緑の水面の静寂に思いを馳せ、呟いてみたくなった。