一年間に一体いくらの本が出版されているのだろうか?調べてみた。
実に72,000冊の新刊本が一年間に発刊されている。一月6,000冊、一日約200冊の計算になる。驚くべき数字である。その中で私たちは何冊の本を読めるのだろうか。という数の問題より、どの本に巡り会えるか。人生で誰と巡り会えるかと同じように重要ではないかと思う。
ここに一冊の本がある。「人生、勝負は後半にあり」(田中真澄著、PHPビジネスライブラリー1985年発行)、丁度40年前の本である。人生100年の時代を予見した退職後の生き方の提案の本である。
1985年、高校の英語教師をしていた父はあと一年で60歳定年を迎えようとしていた。当時、東京に住んでいた私は、鳥取から上京してきた父の退職後の生き方の相談に乗りながら、神田の書店街を二人で教材探しに歩いた。父は自宅で英語塾を開く予定でいた。それと同時に100歳まで世の中の役に立ちたいという目標を持っていた。
その後、私にできる親孝行は何かと考え、「人生、勝負は後半にあり」をプレゼントした。今から思うと明確に覚えている私の最大の親孝行である。その本を読んだせいかどうか分からないが、父は一念発起して、69歳の時に鳥取市会議員に立候補して、81歳まで3期務めた。その間とても生き生きしていた。年齢が20歳若返ったように感じた。95歳で一生を閉じたが、最後まで社会の役に立ちたいという願いを持ち続けていた。
この本の中に登場する人物に、甲子園で有名な徳島県立池田高校の蔦監督を支えた豊岡邦太郎元校長先生がいる。この方は退職前、「私は思いやりのある親切な運転手になる」と全校生徒の前で宣言されたそうである。実際、悪戦苦闘して6カ月でやっと二種免許を取得。生涯タクシードライバーをつづけられた。地方では県立高校の元校長というのは、いわゆる名士である。その方が、「自分の地位や名誉にこだわらなければ、単純明快に世の中渡っていけると思う」と堂々たる人生を歩まれた。
私は一昨年から徳島に来させていただき、是非池田高校の豊岡校長先生の尊顔を拝したいと願っていた。なかなか機会がないので、思い切って三日前に直接学校に電話した。

駄目もとで、不審者だと思いますがと丁寧に経過と趣旨をお話しした。すると教頭先生がお会いしてくださることになり、応接室にある歴代校長の写真があることを確認してくれた。念願が適い、大変嬉しかった。丁寧にお断りされるかなと思っていたので。
そして本日11時に池田高校を訪問。教頭先生が丁寧に対応してくださった。
開口一番、蔦監督のことを伺いに来られる方は多いけど、豊岡校長先生のことを尋ねられる方は初めてだとのこと。実際に教頭先生も面識がないと言われた。私はコピーしてきた豊岡校長先生の箇所を読ませて頂いた。教頭先生は驚かれた。そして、応接室いっぱいに掲げられている、池田高校の甲子園での活躍した記念写真をご案内くださった。そこで気が付いたのが、豊岡校長先生が定年退職したのが、1982年3月。畠山や水野を擁して初優勝したのが、その年の夏8月であった。何という巡り合わせか。まさに無名有力の人であった。

私は念願かなって、あたって砕けろの精神だと再確認して、晴れやかな気持ちで池田高校を後にした。