紅葉の季節というが、実際に紅だけでなく黄色も橙色もあるではないかと疑問を持ち、英語では何というのだろうと辞書を調べてみた。autumn leaves 文字通り「秋の葉」という。すごく納得した。実際に紅だけでなく黄色も橙色もあり、緑葉との対比でより色鮮やかになる。「秋の葉たち」と呼びたくなるほど、美しい紅葉になるのだ。
家内と眉山頂上の楓の紅を愛でてきた。そして金毘羅さんのイチョウの黄色も眺めてきた。やはり緑のアクセントがより美しい。それぞれが精一杯輝いていて、いろんな色があって「秋の葉たち」と声かけたくなった。それぞれの特長があっていいと。
先日、豊橋教会長時代の婦人部さんから一冊の本を送っていただいた。タイトルは「自閉症の僕が家を建てた理由」という本。お母さんと自閉症の次男さんの共著。
お母さんは、「自閉症の子が、自閉症のまま、自閉症らしく、自分の人生を歩み続けること」を一生懸命に支えてこられ、そこで学んだことをいかに社会に還元できるかを真剣に生きて来られた。
それは親が親として育つという人生そのものであったと回想されている。ご子息も「自分で考えた家を建て、僕の自立は生活することであり、働くことであり、これからも一生懸命生きていくことが、僕の自立です。」と力強く語っている。
私はお母さんもご子息も30年前だが、よく覚えている。当時は聴覚に障害があるのではないか、だから反応がないのではないかと、お母さんは悩んでおられた。その後自閉症と分かり、本当にものすごい努力をされて来られた。時々の便りでその様子を伺っていたが、この度ご著書を読ませて頂いて、私の理解は本当に浅く、その凄まじい努力と、エネルギーのほとばしりを感ぜずにはいられず、本当に頭の下がる思いで一杯になった。
当時の社会が発達障害に対する理解がない中で、親の会を立ち上げたり、ご自分も大学院で勉強したり、たくさんの資格を取り、現在も支援グループなど社会への還元を精一杯されている。
生きづらさを感じている人たちがまだまだたくさんいる社会の中で、私たち一人一人がそれぞれの違いを認識して、認め合い尊重しあう世界を作れるように努力したいという彼女の姿に、紅葉が、いろんな色があって美しい、まさにautumn leaves「秋の葉たち」に通じる社会を作っていきたいと私も思いを強くした。