平和を乱す元凶は我にあり

先日、WCRPを支援するグループの平和に関する学習会で、フロアーから私に、「宗教者同士の協力で本当にウクライナ紛争などの問題を解決して,平和が来るのか,あなたはどう思うのか? なんとかならないのか?」という質問を頂いた。

正直なところ,私たち宗教者の手に負えない問題もある。でも相手の方の焦燥感も理解できる。私はこう思った。現実的な問題に向き合う時,我々はなんとか解決したいと思い,しかしそれが大きすぎる問題の場合,心がざわめく。

(WCRP第10回リンダウ大会)

自分の思うようにならないことが苦というもの。だから苦しむのであるが。湧いてくる気持ちは悲しみである。では何もしなくていいのか。

宗教者は長い時間軸で物事を考えることができる。もちろん現実に苦しんでいる方々のことを片時も忘れてはいけないと思う。短いタイムスパンで考えると、無力感で心ざわめくことが多い。しかしあきらめずに粘り強く関わり続けていくのが宗教者の役割だと答えた。

2003年のイラク戦争の時,世界の人たちと連帯してワールドピースアウェイクという運動を展開した。青年本部長の私は使命感に燃えて戦争阻止に向けて先頭切って行動した。しかし,祈りと行動虚しく開戦となった。その時庭野会長より,「国富くん、何事も自分の思い通りにはならないことがあるのだ。あくまで,平和を乱す元凶は自分の心の中にあるんだよ」と優しく諭された。

余談だが,イラクは大量破壊兵器を実際は準備していなかった。国連安保理で準備していると主張したアメリカのパウエル国務長官はその後,それは間違っていたと公式に謝罪した。その潔さは,さすが軍人だと思った。我々の主張は正しかった。サダムフセインはある意味犬死にさせられた。

それに引き換え,そのアメリカ政府の主張を鵜呑みにして,日本をアメリカの戦争に協力する方向に持って行った当時の首相は,私の知る限り,謝罪もコメントすらしていないと思う。この方がテレビに出てくるたびに,厚顔無恥な人だなあと嘆いている。それが日本の政治家なのかもしれない。悲しいかな。

さて,イラク戦争でバクダッドの街はかなり破壊された。戦争後も私はイラクの子供たちのことが心配だった。そこで、JEN(紛争や自然災害により厳しい状況にある人々を支援する国際NGOs)の共同代表として,戦後の学校修復事業をユニセフと協働でバクダッド市内で行うというプロジェクトに参画し、その年の8月ヨルダン経由でバクダットに一週間滞在した。

我々日本人チームはイラクの人たちに歓迎された。また,米軍の人たちからも安全牌として何かと便宜を図ってもらった。

そこで、私は産軍複合体の実態をまざまざと見せつけられた。占領軍の本拠は,サダムパレスといって、元大統領官邸である。色々な手続きのために何回か入ることができた。

気のいい最前線の米兵は日本から来たというと、ホッとした顔をして友好的に対応してくれた。もちろん何度かのセキュリティーチェックを受けて、サダムパレスに入った。

そこで驚いたのは、MCIというアメリカ西海岸の電信電話会社の大きなバナーである。破壊された電話網を一手に引き受けていた。イラク全土はアメリカ国内として扱われ、米軍から支給された携帯電話は料金無料であった。我々の使い放題の国際電話料金はどこに入るのだろうかと思った時に、すべてMCIの収入に入るのは明白である。

もう一つ。破壊された学校の視察に行くときに、米軍とアメリカの建設会社ベクテルの産軍複合体と我々ユニセフ・JENチームは、先に視察したほうが、その学校の修復を担当するという取り決めであった。

巨大な軍事費は予算ではなくて、最終的にそのお金が誰のところに行くのかに注目することを強烈に教えて頂いた。

何度か危険な目に逢いながら、無事に帰国の途に就いた。ロンドンから日本に帰る飛行機の隣に偶然に理容師さんが座っていた。世界大会の帰りだという。立正佼成会の活動、バクダッドの経験などを話していたら、若い頃開祖様の頭を洗髪していたという経験を分けてくれた。本当にびっくりした。開祖様からよしよしと頭を撫でられたような気持ちにならせていただいた。

心を平和にして、あきらめずに自分のできることを粛々とすることが、平和への道だと痛感した。