万治(ばんじ)の石仏

 先日、長野県諏訪教会の発足50周年式典でお役をさせて頂いた。その午前中教会の方に諏訪大社下社の春宮を案内され、御柱の威容に触れた。その後、木洩れ日の中を隣奥に鎮座まします大変ユニークな万治の石仏に出会った。

 石仏の縁起が面白い。諏訪高島藩三代藩主が、諏訪大社下社春宮に大鳥居を奉納しようとし、その命を受けた石工がこの地にあった大きな石を用いようとノミを打ち入れたおり、その石から血が流れ出た。

 驚き恐れた石工は大鳥居の造作を止め、あらためてこの不思議な石に阿弥陀様を刻み、霊を納めながら万治3年(1660年)に建立されたという。

 写真を見れば隣の人との対比で大きさがわかる。なんともビッグで、どことなくユーモラスな感じがした。

1974年、たまたま諏訪大社の御柱祭を見学に来られ、この石仏と対面した画家の岡本太郎さんが感嘆され、あちこちで講演したことにより、一躍話題を呼び全国に紹介され知られることになる。

万治3年に造られたため、「万(よろず)のことを治めてくれる仏様」として信仰され、万治を「ばんじ」と読んで物事が万事うまくいくよう願いを叶えてくれる石仏と伝えられている。お参りの仕方もユニークだ。

①    正面で一礼 手を合わせ「よろずおさまりますように」と心で念ずる。
②    石仏の周りを願い事を心の中で唱えながら時計回りに三周する。
③    正面に戻り「よろずおさめました」と唱えて一礼する。

私ももちろん、その作法に従ってお参りした。「よろずおさめました」と唱えた後、いろいろな悩み事が解決するような不思議な感覚が降りてきた。

生きている限り、苦悩の種は尽きない。まさに十界互具する私たちだ。

先日も自分に湧いてくる汚い気持ちが許せないという若い女性にお会いした。お釈迦さまにも怒りの気持ちがあると、十界互具のお話をしたところ、すごく安心され、「お釈迦様でも怒りの気持ちがあるのですね」と目を輝かせたのが印象的だった。弱い人間の自覚に立つからこそ、神仏に祈り、すがる気持ちが生まれる。それは素朴な信仰姿勢ではないかと石仏に呟いた。