男の人生さらけ出そうぜ あなたにとって佼成会とは

須見昌央

令和6年6月30日、上記テーマによる年次壮年総会が大聖堂で行われ、はじめて壇上に上がらせていただいた。

光祥さま・熊野理事長さんはじめ、みなさんの温かい眼差しを感じながら、正直な自分の気持ちをお話させていただいた。

愛する徳島教会が、このままだと潰れてしまうかもしれないと心配するようになったのが約10年前。

少子高齢化・人口減少により活動会員さんが減少しても従来の式典・お役が減ることはなく、幹部さんにとってはお役の割り振りや行事をこなすことが次第にできなくなっていった。

不満・愚痴・他者への批判が口をついて出るようになった。お役を確保することに全エネルギーを集中せざるを得なくなり、お役を通じて自身の気づきや学びの機縁にするという点がおろそかになっていった。

数年来のコロナ禍が重なり、昨年には大半の支部長さんが退任された。フルに動ける主任さんも非常に少なくなった。

そんな中で今年の徳島教会創立60周年記念式典に向けて青年・壮年・婦人・一般の会員さんの中から10数名の実行委員が選ばれた。

私は実行委員長として、お役のあり方を根本的に考え直す必要があると感じていた。

ほとんどの方が仕事を持ち、子育てや親の介護等で、四六時中教会に詰めてお役を果たすのは不可能な状況だった。

これからは多忙な中でもお役に取り組むことができ、気づき・学びを得ることができるというスタイルを確立していかなければならないと強く感じており、このことを実行委員の皆さんに呼びかけようと思っていた。

徳島教会が生まれかわるラストチャンスであり、もしも実行委員会で意見が対立し機能しなくなったら、本当に教会は無くなってしまうという責任感・悲壮感があった。

だが、こんなに大事なことを自分のような立場の人間が話してもいいのだろうか・・・。教会長さんの了承を得ていたものの、自分の考え・根性に間違いはないだろうかとの不安があり、昨年度の壮年総会実行委員会のとき、光祥さまに、「お力をいただきたい」と、自分の正直な気持ちをお話した。

光祥さまからは、「須見さんは自分の仏性を信じていますか」と問われ、「はい、信じています」とお答えすると、「自分の仏性に従って行動するのは素敵なことだと思います。思うようにはならないかもしれませんが、応援していますよ」とのお言葉をいただいた。

私は大感激をした。仏さまからお墨付きをいただいたと感じ、すっかり安心した。自分の心が軽くなると、実行委員の皆さんと打ち解けて話せるようになった。

すべての行事式典を中止としたことで、式典の準備やお役の割り振りなどで頭を抱えることがなくなり、幹部さんの心が軽くなった。

その状況下で、実行委員は何をしたいのか、何を望んでいるのか話し合いを重ね、徹底的に深堀りした。その結果、「若い人に育ってほしい」というのが実行委員の共通した願いであることがわかった。

式典の内容についても自由に意見を出してもらい、運営会議での検討結果を委員会に持ち帰って検討するというやり取りを続けた。負担を感じるお役はつけず、得意な分野を担当してもらうようになった。

そのうちに実行委員の顔が明るくなり生き生きとしてきた。

朝顔と虹のイラスト

周年の式典参加者からも、「教会の雰囲気が明るくなった。皆の顔が明るく生き生きとしている」との声が多数聞かれるようになった。

長年この日を待っていた。嬉しくて涙が止まらなかった。とはいえ不安はある。不安と隣合わせであることも今の自分には原動力となっている。

私にとって佼成会とは自分の家のようなものだと感じている。

合掌 須見昌央