金沢マラソン

前日の金沢城公園

「11th 金沢マラソン2025/KANAZAWA-marathon」前日に少しだけ【〈石川県金沢市〉観光名所/スポット(代表)として▶︎『金沢城公園』】について紹介したいと思います。

天正11年「1583年」、前田利家(としいえ)が『金沢城』入り、その直後から本格的な城づくりが始められました。
キリシタン大名として知られる高山右近(うこん)を招き、築城の指導を仰いだと伝えられています。
西庁口(にしていくち)から尾坂口(おさかくち)へと大手が変更されたのもこの頃です。
しかし、当時は城内(きうち)に重臣(じゅうしん)たちの屋敷があり、決して広い城ではありませんでした。
慶長(けいちょう)7年『1602年』、⚡️落雷⚡️により天守が焼失した後、天守は再建されず、本丸には三階櫓(さんかいやぐら)と二の丸には御殿が建てられました。
寛永(かんえい)8年『1631年』の🔥火災🔥の後、二の丸の拡大や辰巳用水の通水などにより城の構造が変化する中で、武家屋敷も城外へと出されました。内堀を掘り、土を掻(か)き上げて各曲輪が区画されていきました。

宝暦9年『1759年』の🔥火災🔥では、城のほとんどが焼失しました。その後の再建では、実用性を重んじ、二の丸を中心とした整備が行われ、本丸の櫓(やぐら)は再建されませんでした。
細工書(さいくしょ)が新丸から堂形へ移されたのもこの時期です。現存する石川門は、この後「天明8年(1788年)」に再建されたものです。

平成13年(2001年)に復元された菱櫓(ひしやぐら)・五十間長屋(ごじゅうけんながや)・橋爪門続櫓(はしずめもんつづきやぐら)は、文化5年(1808年)の二の丸火災の後、再建され、明治14年(1881年)に🔥火災🔥焼失したもので、安政頃(あんせいころ)の景観を再現されておりました。

なお、『金沢城-二の丸御殿』の復元工事が今年3月から始まっており、この工事は段階的に進められ、1期工事として、玄関や「虎の間」「実検の間」など、政務の中心だった「表向」の一部を復元へ、2030年度には、素屋根(建物を覆う仮説の建物)建設と躯体(くたい)工事(柱や梁の組み立て)が完了予定となっております。初めての『金沢城公園』来て見て良かったです。

マラソン当日

おはようございます。本日は「11th 金沢マラソン/KANAZAWA-marathon〈42.195Km〉」通常通り【開催】となります。本日は1日中「雨」という事で、自分は体調管理しっかりして、頑張ります。

まもなく【🏃第11回:金沢マラソン2025〈フルマラソン/42.195km〉🏃】朝8:30より僕は「第1ウェーブ」でSTARTとなります。果たして記録は出るでしょうか?運命の瞬間です‼︎

Runner Tetsuya