宇和島城

本日分の「2日目の愛媛県の観光スポット」の最終日として愛媛県宇和島市▶︎『国史跡・重要文化財「宇和島城」』について紹介したいと思います。

『宇和島城』に正式の天守ができたのは、藤堂高虎(とうどうたかとら)の築城の時、慶長6年(1601年)頃であったと考えられます。しかし、そのときのものは今見るものとは異なって、自然の岩盤の上に立つ珍しい形のもので、現像のものとは全く形が異なっていました。


今の形に建て替えられたのは、伊達氏になって「二代宗利(ひさだそうり)」が城の大改修をした寛文(かんぶん)年間(1661年〜1672年)であります。独立式の天守で、三重(層)三階、白壁の総塗り込め造り。土台から棟までの高さは15、8メートル。初層は六間四方(ろっけんしほう)、二層は五間四方(ごけんしほう)、三層は四間四方と順次同じ比率で小さくなっており、塔風の形態となっています。正面最上層の屋根には大きな唐破風(からはふ)、その下の二層の屋根には大きな千鳥破風(ちどりはふ)、一層には二つの千鳥破風、さらにその下に玄関の唐破風と変化をつけた屋根が白壁に映え、安定感があり、極めて優美な姿をみせています。


式台のある玄関や建物の周囲、石垣との間に余地を残していること、内部に長押や建具があることなどとも相まって、鉄砲狭間(はざま)や矢狭間(やざま)、石落しなどがなく、天守としての武備の要素が薄れて、領主の威容を示すことに重点が置かれるようになった「江戸時代」の時代相を表現しています。


寛文年間の建築後、「万延元年(1860年)」にも大修理が行われた。「昭和35年(1960年)」より満2か年を費やして大々的な解体修理が行われ、「昭和37年(1962年)」10月に完成されました。この天守は、国内に現存している天守一二棟のうちでも「江戸時代」の様式を表現した代表的なものとされています。

さて・・・初めて「宇和島城(天守)」まで行ってみて、「天守」まで特に〈石垣階段〉がとても窮屈で登ったり降ったりで、【20代後半】なって以降、とても大変でした。その後、「宇和島城」に行った後、昼時の外食は【宇和島グルメ寿司・すしえもん】と回転寿司店へ食べに行きました。お値段は・・・〈サイドメニュー・ドリンク含む「4323円」〉でした。その後は〈JR予讃線〉特急宇和海号で「宇和島駅⇒松山駅」で乗った車両は【アンパンマン列車】でした。最終的には〈JR松山駅⇒徳島駅〉まで「高速バス」乗って帰省しました。是非‼️〈宇和島城〉で足を運んでみてはいかがでしょうか?


       
         by てっちゃん