源義経騎馬像 – 徳島県小松島市芝生町(しぼうちょう)

源義経騎馬像

地元小松島市出身[自分]の地元、あるある観光スポット紹介として「小松島市芝生町”しぼうちょう”」の山頂に、高さ6.7㍍の日本一を誇る《源義経騎馬像》が立てられております。

実は小松島市にも、そんな義経にまつわる伝説がたくさん残っています。

平家と源氏の戦いである「源平合戦」の際、彼は戦の天才として数々の功績を残しました。

なかでも有名な戦いが、一ノ谷の戦い、屋島の戦い、そして平家を討ち滅ぼした壇ノ浦の戦いの3つ。このうち、屋島の戦いの時に大阪の港から出港した義経が、最初に上陸したのが小松島と言い伝えられているのです。義経の狙いは、敵の背後から奇襲をかけるため兵馬をひそかに四国に上陸させることでした。

暴風雨のなか小松島に辿り着いた義経は、それぞれの軍船に乗っていた家来たちを集結させ、源氏の象徴である白旗をかかげて士気を高めました。

この時、家来たちを集めた場所を「勢合(せいごう)」、白旗を立てた場所を「旗山(はたやま)」と呼び、今の地名として残っています。

旗山

そしていよいよ屋島への進軍が始まるのですが、この時に通った道が、今に伝わる「義経街道」です。義経は平家側についていた熊山城と桜間城を破り、県境にある「〔現:香川県東かがわ市〕大坂峠」を渡って、一夜のうちに屋島にたどり着いたと言われています。

このうち、義経ゆかりの地を結ぶ小松島市内の約10kmは「義経ドリームロード」と名付けられており、現在も【案内板•道標】などが立てられてるので、車で移動すれば1日で回ることもでき、観光ルートとしてもお勧めです。 

一ノ谷の戦いに敗れ、讃岐屋島に逃れた平家軍を追討する命を受けた義経。

摂津渡辺の津「現:〔大阪市北区〕」から20隻の船で漕ぎ出し、紀伊水道を南進、折からの暴風雨に乗じて、通常2日かかる行程をわずか6時間で阿波の国勝浦「現:小松島市」にたどり着きました。寿永四年(1185年)の話です。

源義経上陸の地碑

旗山の石碑

軍船を集めたとされる伝説の始まりの地「勢合」には、県道から国道55号沿いに抜ける道沿いに石碑が建てられています。ぜひ〔小松島市の【源義経騎馬像】〕にお立ち寄り下さい。

てっちゃん

旗山八幡宮

神社の神馬